思いやりのある子に育てたければ「片づけ」の本当の意味を教えるべき。

整理された本

皆さんこんにちはシロネコ書房(@shironeko_shobo)です。

私は昔、書店員として働いていたことがありまして、その時の癖から、今では「片づけ」に一家言持つまでになりました。

今日は「たかが片づけ、されど片づけ」ということで、私の考える「片づけ」についてお話させて頂こうと思います。

先に結論から言えば、片づけとは「想像力とやさしさの塊」なのです!

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「片づける」ということ

片づけは信頼

書店では店員がいくらこまめに売り場を整えようとも、日々あちらこちらで商品(本)が崩され、乱され、散らかされていきます。

特に児童書売り場はすさまじく、子供達が持ち出した本は読みっぱなしの置きっぱなし。まず元の場所には戻されません。

外れてしまった帯やスリップ(本に挟まっている札のようなもの)、挟み込まれていたアンケートハガキや付録は売り場に散乱しまっている状態です。見本用の本においては、破かれたり、壊されていたりもします。

恐るべし子供達……と戦きつつ、ここで一つ不思議に思ったのが、どうして彼らのご両親、保護者の方々は、散らかした本を片付ける、元あった場所に戻す、ということを彼らに教えないのだろうかということでした。

 

イサコ
商品や売り場が散らかったとしても、元に戻すのはお前ら店員の仕事だろう!

 

そう言われると、確かにその通りではあります。

しかし、だからと言って、それが片づけを子供達に教えないことの理由にはならないと思うのです。

 

私達店員の整理整頓は「仕事」ですが、使ったものは元の場所に戻す、というのは本来、「常識」や「マナー」の範疇の話であると私は考えています。

 

実際、小売店の人間は、「お客様はそうした常識を心得ていらっしゃる」ということを前提に、お客さまに信頼をおいているからこそ、日々営業が行えています。

もしその前提がなければ、「お客さまは売り場をめちゃくちゃに壊滅させるかもしれない存在」と構えて、常に売り場に監視員を置くような営業形態を取らねばなりません。

「お客さんと店員」という間柄において、片づけは常識やマナーの意識を経て、「信頼の証」としての役目を担っているのです。

 

これはとても大事な人間関係の基礎とも言えましょう。

それゆえに、何故子供たちにその重要さを学ばせないのかと、私は甚だ疑問なのです。

そうした社会の暗黙のルールを子供達に教えるのは、他でもない親の役目ではないでしょうか。

 

片づけの先にあるのは「未来を思う」こと

そして、私は片づけは単なるマナーやルールを超えた深い意味を持つ行為である」とも思っています。

 

思うに、片づけとは未来の「誰か」への思いやりなのです。

ここでいう「誰か」とは、様々なものを共有する家族や、同じ空間で仕事をする会社の同僚など、自分が既に知る人、そして、自分の後にその場所・モノを利用する、本当の意味での「未知の誰か」のことです。

その人たちのことを考えられるかどうか。それが、「片づける」という行為の根幹に位置しているのだと私は思います。

 

あなたが自分の使用した場所を片づけずに散らかしっぱなしにしていたら、次にそこを使う人はとても嫌な気持ちになるでしょう。酷い場合は使用すること自体が困難になるかもしれません。

あなたが自分の使ったモノを元の場所に戻さなかったら、それを次に使う人は、本来あるべき場所にそのモノがないことで首を傾げ、探すために余計な時間をかけてしまうでしょう。

 

このような状況を想像し、行動することができる力。それが、未来への思いやりです。

 

表面から見れば片づけはただの整理整頓ですが、その根底には、相手を特定しない、しかしそれゆえに深く色濃い思いやりの心が広がっているのです。

 

大事なのは想像力

そうしたことが想像できない、できたとしても行動はしない人がとても多い気がします。

 

トト
散らかってたって、どうせすぐ戻せる(だから私がやることでもない)

 

イサミ
今片づけても、どうせすぐ(私じゃない人が)散らかすよ

 

このような認識を、自分が片づけなくていい理由として、多くの人が掲げてしまっているのです。

一人、二人までならまだしも、このような片づけの放棄は積み重なりやすく、事態はどんどん悪化していきます。

そして最終的には、その場所は誰も使用できなくなってしまうほどに荒れ果ててしまうのです。

 

こうした事態は、一人一人がほんの少しの想像力を働かせて、もし自分が次にこの場所・モノを使うとしたらどう思うだろうと考えられれば解決する問題です。

しかし、多くの人はそこに意識をやることもしません。

「めんどくさい、私じゃなくても……。」

その気持ちは一瞬のためらいを生み、一瞬のためらいは未来の世界に対する責任感をぼやけさせます。

責任感がぼやけると、未来に対する罪悪感までもが薄れてしまい、結果として「まぁいいか」となってしまうんですね。

 

そうなる前に、次に自分がそこを使うとしたら、それを使うとしたらどう思うかをもう一度考えてみてください。

大事なのは、未来を思う想像力なのです。

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思いを広げて

話のきっかけを書店という場所にしてしまったがゆえに、ことの重大さを掴みきれてない方もいると思うので、話を「地球」と「ゴミ」の問題に置き換えてみましょう。

 

ゴミは、もちろん出した人間がきちんとした方法によって処理しなければなりません。

しかし、「片づけ」を面倒くさがった人間が、ポイ捨て、海や川への化学薬品の廃棄、海岸へのごみの投棄などを行います。

本人たちは、自分一人(我々一団体)がちゃんとしたところで……と考えているのでしょうが、それが何十、何百、何千、何万と重なることで、地球という皆の場所はどんどん荒れていきます。

ウミガメは漂流するビニール袋を餌と間違えて食べて死に、川は虹色になって生き物を殺し、大気は汚れ、私達自身の体を蝕む……。

このようなことはすべて、先人たちが物事を正しく「片づけ」てこなかったことによって生じているゆゆしき問題です。

 

「片づけ」をしてこなかったツケは、このように私達自身に確実に返って来ています。

 

「片づけ」が未来への思いやりならば、「片づけない」ことは、未来への無責任さの現れなのです。

 

 

子供たちが歩く道

ただ、子供たちはそう単純にはいきません。

彼らは幼く、己の欲望に忠実であるために、やりたいことが次々に移り変わっていきます。その隙間に、未来の「誰か」に思いを馳せる余地はないのです。

 

そのような時期を、誰かに注意や指導を受けることなく過ごし、「片づけなくても誰かが元に戻しておいてくれる」「自分一人が片づけなくても大差ない」という経験を多くしてしまうと、子供たちは片づけを軽視したまま大人になってしまいます。

酷い場合は、「片づけるってどういうこと」なんて子も出てきてしまうかもしれません。

それはその子を、他人の未来を軽んじる、身勝手な人間に育ててしまうことと同じです。

 

だからこそ私たち大人が、彼らの暴走する欲求に「ちょっと待った!」をかけなければなりません。

通り過ぎた道を振り返らせ、そこをこれから通る人がいるから、綺麗にしておかなければならないことを教えなければなりません。なぜ?と問われたら、その理由もきちんと添えて、子供たちが納得するまで説明を加えなければなりません。

それが、私達大人の役割であり、責務であると思うのです。

 

まとめ:「未来の自分」も大切に

そして、未来の「誰か」には、もちろん「未来の自分」も含まれています。

 

人生には楽しいことも多いですが、同様に辛いこともたっくさんあります。

そうした辛さ、その元となる問題を1つ1つ「片づける」ことは、前向きで充実した人生を歩むうえで必要不可欠です。

それを面倒くさがって、放置に放置を重ねれば、道は淀み、荒れ果て、もっともっと苦しいことで溢れてしまいます。

そうならないために、目の前の面倒事を、手間がかかったとしても「片づけて」行く癖を、子供のうちから学ぶ必要があるのだと私は考えます。

 

そしてそのスタートは間違いなく

「寝る前に遊んだ積み木をおもちゃ箱に返すこと」

ここからなのです。

大好きなおもちゃで明日も楽しく遊ぶために、大好きなあの子と明日も笑いあって過ごすために、大きくなった彼らが、たくさんの可能性と未来に出会うために、物事の「片づけ」の大切さを、お子さんと一緒にもう少し考えてみてはいかがでしょうか。

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ABOUTこの記事をかいた人

シロネコ書房

物語とコーヒーが好きな一般成猫。横浜市の隅っこで暮らしています。人の「心」について興味を持ち、日々、ふむふむと勉強中。 このブログでは、これまでに学んだ「毎日を生きやすく、楽しく暮らす」ための心のノウハウを、Life Hack(ライフハック)ならぬ「Cocoro Hack(ココロハック)」と称して紹介していきます。