【若者叩き】 「最近の若者はダメだ」が日本の未来をダメにする。

輪k者いじめ

みなさんこんにちは、シロネコ書房(@shironeko_shobo)です。

 

4月に入ってから早半月。春の温かみもようやく街に漂い出しましたね。

また、春と言えば出会いと別れの季節。新年度を迎え、新しい生活を始めたという方もいるかと思います。

今年から新社会人になった、という方も多いでしょう。

しかし、それに伴うかのように「最近の若者はダメだ!」という声もあちこちから聞こえ始めています。

様々なメディアで「こんなにヤバい新入社員がやってきた!」なんて事例が紹介されるなど、もはや恒例行事ですね。

 

ただ、ハッキリと言いますが、

その「若者叩き」が日本の未来を潰しているだけだってこと、あなたは気付いていますか?

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得体の知れない若者達

いつの時代も「若者」というのは、上の世代の人々からすれば奇妙な存在です。

彼らの価値観や行動規範は到底理解できるものではなく、一体どう扱えばいいのやらと手をこまねいてしまいます。

もちろん、上の世代の人々だって昔は同じ「若者」だったはずなのですが、当時の自分たちがどのようなことを考え、何を意識して過ごしていたかを覚えている人はそれほどいないようです。

また、育ってきた時代背景や触れてきた文化の違いが生み出す世代間ギャップが、両者の間の溝をさらに深めています。

 

自分が理解できないもの、得体の知れないものに出会った時、人は恐怖や不安といった感情を抱きます。

そうなった時、人はその「ワケが分からないもの」を自分が理解しやすいものに置き換える、もしくは分かりやすい名前や枠組み、意味を与えることによって、その不安定な心理状態を解消しようとするのです。

 

こうした心の働きが若者たちに向けられた結果生まれたのが、ゆとり世代」や「さとり世代」、「今年の新入社員は○○型!という言葉たち。

社会は、突如現れた奇特な若者たちに対してこのようなラベリングを行うことで、自らの理解の範疇に彼らを組み込もうとしているのです。

 

ラベルを貼られる若者達

差別と偏見

自分たちがよく分からないものに対してラベルを貼るわけですから、若者たちに対するラベル付けは、差別的であったりネガティブな意味合いが強くなることが多くなります。

 

そのうちの一つが、毎年春に発表される「今年の新入社員のタイプは〇〇型!」です。

 

日本生産性本部の「職業のあり方研究会」は、1973年から毎年3月に『新入社員の特徴とタイプ ー(今年の)新入社員のタイプは〇〇型ー』という調査研究報告書を公表しています。

この報告書によると、今年、平成29年の新入社員は『キャラクター捕獲ゲーム型』であると言います。

NHKがこの報告書の公表後に、「ことしの新入社員は『ポケモンGO』型」と報じていたように、棒人気スマホゲームアプリに掛けたネーミングだということが分かりますね。

その内容は

キャラクター(就職先)は数多くあり、比較的容易に捕獲(内定)出来たようだ。一方で、レアキャラ(優良企業)を捕まえるのはやはり難しい。すばやく(採用活動の前倒し)捕獲するためにはネット・SNSを駆使して情報収集し、スマホを片手に東奔西走しなければならない。必死になりすぎてうっかり危険地帯(ブラック企業)に入らぬように注意が必要だ。はじめは熱中して取り組むが、飽きやすい傾向も(早期離職)。モチベーションを維持するためにも新しいイベントを準備して、飽きさせぬような注意が必要(やりがい、目標の提供)。

日本生産性本部 平成29年度 新入社員のタイプは「キャラクター捕獲ゲーム型」

となっています。

一度読めば分かるかと思いますが、何とも言えぬ「寒さ」が漂っていますよね。

連射するおやじギャグを以てして「上手いこと言ってやったぜ!」と自慢げな研究会の皆さんの様子が浮かんでくるばかりで、それ以外の情報があまり入ってきません。

実際、新入社員たちの就職活動の様子を面白おかしく揶揄すること以外にこの研究結果の使い道ってあるんでしょうか。

必死の思いで、それこそ人生をかけて就職活動をしたであろう若者たちのことを思うと、この手のおふざけは彼らに対する侮辱以外の何物でもないように私は思うのですが……。

(そもそも、この報告書って毎年3月に公表されているわけで、まだ入社してもいない若者たちの特徴がどうしてわかるんでしょうね?)

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これまでの「○○型社員」

平成に入ってからの歴代「○○型侵入社員」を振り返って見てみましょう。

歴代平成「○○型新入社員」一覧

年度名称
1989年(平成元年)液晶テレビ型
1990年(平成2年)タイヤチェーン型
1991年(平成3年)お仕立券付きワイシャツ型
1992年(平成4年)バーコード型
1993年(平成5年)もつ鍋型
1994年(平成6年)浄水器型
1995年(平成7年)4コマ漫画型
1996年(平成8年)床暖房型
1997年(平成9年)ボディシャンプー型
1998年(平成10年)再生紙型
1999年(平成11年)形態安定シャツ型
2000年(平成12年)栄養補助食品型
2001年(平成13年)キシリトールガム型
2002年(平成14年)ボディーピロー(抱き着き枕)型
2003年(平成15年)カメラ付きケータイ型
2004年(平成16年)ネットオークション型
2005年(平成17年)発光ダイオード型
2006年(平成18年)ブログ型
2007年(平成19年)デイトレーダー型
2008年(平成20年)カーリング型
2009年(平成21年)エコバック型
2010年(平成22年)ETC型
2011年(平成23年)はやぶさ型(震災により発表を自粛)
2012年(平成24年)奇跡の一本松型
2013年(平成25年)ロボット掃除機型
2014年(平成26年)自動ブレーキ型
2015年(平成27年)消せるボールペン型
2016年(平成28年)ドローン型
2017年(平成29年)キャラクター捕獲ゲーム型

 

皆さんの年は、どんなタイプの新入社員が生まれていたでしょうか。

しかしこう見てみても、一瞥しただけでは何が言いたいのか全く分からないワードだらけです。

研究会の皆さんのセンスは一体どうなっているんでしょう。

 

少し個別に取り上げて見てみましょう。

例えば、2001年(平成13年)の『キシリトールガム型』は

種類は豊富、価格も手ごろ。清潔イメージで虫歯(不祥事)予防に効果ありそうで、味は大差ない。

と説明されています。

 

また、1994年(平成6年)の『浄水器型』では

取り付け不十分だと臭くてまずいが、うまくいけば必需品。

とのこと。

 

更に、2002年(平成14年)の『ボディーピロー(抱き着き枕)型』は

クッション性あり、等身大に近いので気分はいいが、上司・先輩が気ままに扱いすぎると、床に落ちたり(早期退職)、変形しやすいので、素材(新人の質)によっては、いろいろなメンテナンスが必要となる。

なのだそうです。

 

ここまでくると、もう「うわぁ…」って感じですよね。

人をモノに例えて、「メンテナンスが必要」だとか「味は大差ない」「臭くて不味い」などと言えてしまう神経は、控えめに言ってどうかしているとしか言いようがありません。

というか、もうこれただの誹謗中傷ですよね?

 

この研究は「新入社員たちの実態」を明らかにするためのものであるはずなのに、それらしい情報は全く入っていません。

若者たちの社会における立場が弱いからと、言いたい放題言っているだけの様な気がします。もはや差別いじめの域です。

 

ただ、昭和時代の若者ラベリング(もはやレッテル張り)の中に、1980年(昭和55年)の『ムーミン型』(人畜無害でおとなしいが、大人か子供か得体知れず。)などというものがあったり、1993年(平成5年)に『もつ鍋型』(一見得体知れずで厄介だが、煮ても焼いても食えそう。)というものがあることから分かるように、やはりこのラベリングの根幹には、若者に対する「理解の及ばないもの」「得体の知れないもの」という上の世代の不安があるようです。

 

何を考えているのか分からない、どう接していいか分からない、怖い、不安だと思うからこそ、虚勢を張って若者たちを貶めるような強気なレッテル張りをしているのでしょう。

要は強がりだということですね。

まぁ、だからと言って、このような偏見につながるラベリングをしていい理由にはならないんですけど。

 

このような意味のない、若者たちの感情を弄ぶかのような研究がかれこれ40年以上も続いているという事実には、ただただ驚かされるばかりです。

日本人の「若者叩き文化」の根の深さは推して知るべし、と言ったところでしょうか。

 

一方的なラベリングは偏見と差別につながる

良く分からないモノ達に対してラベルを貼ったり、名前や意味を与えて自分が理解しやすいものにしようとすることは、その概略をつかむためには確かに都合が良い方法です。

しかし、個々に特徴があるものに対して十把一絡げなラベル(もはやレッテル)を張ることは、差別や偏見に繋がります。

 

例えば、『ブラジル人はみんな陽気』や『都会の人間はみんな冷たい』といったものがこれに当てはまります。

確かに、そういった認識が生まれる原因となった「傾向」は見受けられるのかもしれません。ただ、それはあくまでも「傾向」の話。すべての人間に当てはまるわけではないのです。

陰気なブラジル人もいれば、近所付き合いをすごく大切にしている都会人だっています。それを頭から否定して、「○○は△△なんだろう」と思い込むことは、ただの思考停止でしかありません。

 

「若者」だから、「ポケモンGO型」だから、「ゆとり」だからと物事を一概に考えてしまうことは、個人への理解とはおおよそ離れたところであぐらをかく行為に他なりません。

イサコ
まったく今年の新入社員は使えないな!これだから「ゆとり」は!

 

などと言う前に、その人個人と向き合う姿勢を持つべきなのです。そうでなければ、あなたの方も部下に「これだから労害は……」と思われてしまうことでしょう。

これでは、いつまでたっても両者の溝が埋まることはありません。

世代を超えて、年齢を超えて、互いが互いに歩み寄ることが大切なのです。

※もっと詳しく!という方はこちらの記事をどうぞ!

【確証バイアス】差別と偏見はこうして生まれる。僕らは自分に都合のいい世界しか見ていないんだ!
確証バイアスとは、自分の仮説や信念に一致する例を重要視してしまう脳のクセのことです。スポーツの祭典などで黒人選手が活躍しているのを見ると、「黒人は運動神経に優れているんだな」と思い込みます。そして...

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過激化する若者叩き -シュガー社員が増えている?ー

倒れこむ若者

日本の「若者叩き」の異常さを象徴するもう一つの言葉として『シュガー社員』というものがあります。

 

『シュガー社員』とは、社会保険労務士の田北百樹子氏が生み出した言葉で、『親に過保護に育てられたせいで自立心が弱いくせに、自信にだけは溢れている若手社員のことを指します。

田北氏によると、彼らは自分に甘く、モラルに欠け、他人に迷惑をかけてもお構いなしという特徴を持つらしく、また、その数は急速に増加してきているとか。

ちなみに、『シュガー』という名前の由来は『親から甘やかされて育ち、自身も甘々な考えのまま社会に出てきてしまった社員』という印象を砂糖の甘さに例えたところからきているそうです。

 

シュガー社員の5類型

j-castで2008年の10月から2009年の5月にかけて行われていた田北氏の連載コラム『シュガー社員がやってきた!』、および、同氏の著書『シュガー社員が会社を溶かす』によると、シュガー社員には以下の5つのタイプがいるとのことです。

1、ワンルームキャパシティ型

マニュアルを重視し、言われたこと以外の仕事ができないタイプ。

日々のルーティーンワークをこなすことはできるけれど、想定外の事態にはてんで対処ができない。

しかしそのことを指摘すると、「聞いていない!教わっていない!」とパニックを起こす。

 

2、私生活延長型

彼氏に振られた、飼っていたペットが死んでしまった、等のプライベートに起因する感情の乱れを、そのまま職場に持ち込んでしまうタイプ。

仕事が溜まっていたとしても、できるかぎり残業はしません。休日出勤なんてもっての外。

今の仕事は「将来のためのつなぎ」だと考えている、雇用するには一番リスキーな存在。

 

3、俺リスペクト型

自分に対する評価が極端に高く、「自分は特別」「本当はすごい人間」だと思い込んでいる。

しかし、その割に仕事はできず、かといって自分から進んで努力をするわけでもない。

上司への反抗もしょっちゅうで、「自分の仕事が上手くいかないのは、周りの理解と支援が足りないからだ」と本気で信じている。

 

4、プリズンブレイク型

一見、まじめに頑張っているようにみえるが、体力と気力が無くすぐに逃げ出してしまうタイプ。

ストレス耐性が低く、困難や壁にぶち当たると、それを乗り越えずに楽な道に逸れようとしてしまう。

(医師の診断は受けずに)「プチ鬱なんです」とすぐに体調不良を訴えて早退するなど、粘り強さに欠ける。

 

5、ヘリ親依存型

過保護な親が子供にべったりとくっついており、何かあると空のヘリから急降下するかの如く駆けつけ、クレームを入れてくる。

子どもの方もそうした親からの精神的独立が出来ておらず、逆に依存してしまっている。

子供よりも親の方に原因があるタイプ。

以上がシュガー社員の5タイプです。

皆さんはこれを見てどういう感想を持たれたでしょうか。

私はといえば、「え?本当にこんなトンデモない人が増えているの?」という疑問を持たざるを得ませんでした。

少なくとも私の周りでは、このような人見たことも聞いたこともないです。

 

また、仮にこうした『シュガー社員』が実際にいたとして、こうした特徴って本当に今の若者だけに当てはまるものなのかという疑念もあります。

私生活のイライラを持ち込むだとか、言われたことしかできないだとか、こういう社員って年代関わらず一定数いるものだと思うんです。

忍耐力がなかったり、やたらと自身に満ち溢れている人はどの年代にも少なからずいるわけで、それを若者特有のモノとして扱っている時点で「最近の若者はダメだ」の一種でしかないような気がしてなりません。

 

確かに、最近になって新たな種類の「困った社員」が出てきているというのは事実でしょう。

しかし、それだってごく少数のはず。それを大げさに取り上げて、

トト
今年の新入社員にはこんなヤバいやつがいる!だから若者はダメなんだ!

 

と、一部の性質をさも全体のものであるかのような論調で語るのは、若者たちに対する偏見の助長にしかなりません。

それにしても、このような若者を差別するような言葉(ゆとり世代、さとり世代等も)が次々と生まれているのを見ると、若者叩きもいよいよもって苛烈を極めてきたと思わずにはいられませんね……。

 

シュガー社員が生まれた原因?

田北氏は、こうしたシュガー社員が生まれた背景に

  • 豊かな社会に育った過保護な親
  • 個性重視をうたったゆとり教育
  • パソコンやケータイなどITの発達によるダイレクトなコミュニケーションの不足
  • 終身雇用制の崩壊と雇用の流動化による転職志向

があると述べています。

 

しかしこれ、よく見てみると若者たちが直接的に悪いと思われる原因って無くないですか?

ゆとり教育は当時の政府主導によるものですし、IT技術はいまや必須のスキルとして磨くことが求められているものです。

終身雇用が崩壊したのは不景気によるもので、いつ勤めている会社が倒産するか分からない今、どこの会社にも通用するスキルを身に着けようと転職を繰り返すことは当然の動きでしょう。

過保護な親のせいでシュガー社員が生まれた、なんて言われても、子供からしたらどうしようもできないことです。むしろ責任は親の方にあります。

 

田北氏が述べる『シュガー社員が生まれた原因』のほとんどは、若者たち自身ではなく、彼らを育ててきた親世代や、周囲の環境の変化に起因するものです。

それにもかかわらず、いざ社会へ出てみたら「最近の若者はダメだ!」と当人たちだけが悪いような言い方をされてしまう……まったく、なんでなんでしょうね。

そしてそのような言葉をかける人自身が、彼らの親世代だったりするんですよ。

世間はどうしても、様々な「社会の変化や失敗」が生み出した悪いものを、立場の弱い若者に押し付けたがっているようです。

 

正しい価値観とは何か

田北氏の連載の初回記事では、田北氏に相談に来たある社長さんの言葉が紹介されているんですが、その内容が

イサコ
最近の若いもんには参りますよ。見習いのうちから生意気に“労働条件に納得がいかない”って。しかも、親まで顔を突っ込んでくるんですよ

 

というとんでもないものなんです。

え?会社の労働条件ってベテランにならないと口出しできないんですか?あれ?

労働者の権利は一体どこへやら。若いうちは、酷い待遇でも文句を言わずに働けってことなんでしょうか。

このように、極めて会社寄りなトンデモ理論が、この『シュガー社員』という言葉の裏には潜んでいたんです。

 

また、田北氏は同記事内で「権利意識の強い若者」という言葉を使っています。

労働者の一人として会社の労働条件に口を出すことが「権利意識が強い」ことになるんですね……。まったくすごい考え方です。日本でストライキがほとんど起こらない理由の一端をここに見たような気がします。

 

しかしまぁ、最近耳タコとなっている日本人の「長時間労働問題」や「働き方改革」という話題を考えると、上の世代と若者達、労働に対して健全な考え方を有しているのは果たしてどちらなのかという疑問が湧いてきます。

その答えは賢明な労働者なら当然分かるかと思いますし、世論を見てもどちらに流れがきているかは明白でしょう。(「ブラック企業」という言葉が市民権を得て、反対にこの『シュガー社員』なんて言葉が全く認知されていないように)

 

追記+α

この他にも、田北氏のコラムには、「従業員といえども会社側の視点を持て」、「うまくいかない全ての原因は自分にあると思え」、「不平不満は言わず仕事に集中しろ」といった旨のことが書いてあり、これらを全部守れる人間って本当に「会社の奴隷」でしかないよなぁ、なんて思いましたね。

 

このように、上の世代の価値観だけが絶対的に正しいということはなく、社会に新たに迎えられた新入社員たちの方が健全な価値観を有している場合があるのです。

 

また、あらゆる物事が急速に移り変わっていくこの高度情報社会の中で、若者たちは変化する世の中の兆しとしての役割も持っています。

それを、「自分たちと違うから」「理解が出来ないから」と昔からの価値観で上から押しこめてしまうのは、新しいモノや時代を受け入れられない大人たちの狭量さを示すだけです。

 

自然界でも人間界でも、変化を受け入れられない者たちはいずれ衰退していきます。

そうならないためにも、「最近の若者はダメだ!」と嘆くだけではなく、彼らの持つ新たな価値観や思想に上の世代の人々も歩み寄っていく必要があるのです。

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いつの時代も「若者はダメ」

いつの時代も「若者がダメ」なのは、考えてみれば当たり前の話です。

 

これまで彼らは十数年間親の庇護下にあり、また、社会における役割や責任というものを免除されて生きてきました。

それが高校や大学を卒業するのと同時に、いきなり砂塵舞う現代社会へと放り出されるわけです。ここまでの人生を全て親に頼ってきたわけですから、一人で生きる術も知らない人だっているでしょう。

そのような状態であるにもかかわらず、しかし社会は彼らに「一人前の大人」であることを求めます。それにすぐ応えられる若者なんて、ごくごく少数でしょう。

 

また、発達心理学的の観点から言えば、新社会人として世の中に旅立つ若者たちは、心の発達段階における「心理的離乳(※)」の最後期にいます。

順調に親元から独立して、社会的にも経済的にも自立することが出来ればこの心理的離乳は完了するのですが、それまでは非常にアンバランスな精神状態にあるのです。

 

そのような時期に、

イサコ
まったく最近の若いやつは使えねぇな
これだからゆとりは
トト
お前らみたいなのをシュガー社員っていうんだよ

 

と、まるで袋叩きにされるかのように差別や否定の言葉を浴びせられたら、それだけで若者たちの心は潰れていってしまいます。

 

「根性がない」「すぐ鬱だなんだとやめていく」なんて言う人がいますが、そういった状態に追い込んでいるのは、他でもない大人たちなのかもしれないのです。

心理的離乳

アメリカの心理学者、L.S.ホリングワースが提唱した理念で、発達段階にある青年期特有の心理状態のことを指す。

両親からの心理的な「乳離れ」をするために必要な心の発達段階であり、多くは第二反抗期(12~17歳ごろ)に見られる。(しかし近年、親離れ・子離れが出来ないまま青年期を迎えるケースが増え、それと同時に心理的離乳が遅れる傾向が生じている)

その根底には、早く自立したい、一人前の大人になりたいという欲求があるが、それが上手くいかないことでイライラしたり、精神的に不安定になりがちである。

 

「若者叩き」の不毛さ

力不足ながらも一人前の大人になろうと必死でもがいている若者たちに対して、さて、上の世代が行うべきことは何でしょうか。

一つ間違いなく言えることは、センスのないおやじギャグで彼らを揶揄したり、理解できないものだからと彼らの持つ価値観を頭ごなしに否定したり、もはや差別ともいえるレッテル張りをすることではないということです。

 

初めて社会に出て右も左も分からない若者が、失敗したり、常識に欠けているのは当然のことです。

むしろ、それを上手に正してやるのが先達の役目でしょう。

それを放棄して、やれ「ゆとり」だ、やれ「○○型」だと面白おかしく若者たちを叩くことに、どういった建設的な意味があるというのでしょうか。

 

また、上の世代が「最近の若者は」とどこか突き放したように話すのは何故なのかという疑問もあります。

若者たちは、どこか違う星に住んでいるわけでもなければ、食べるものが違う訳でもありません。

同じ国や地域にすみ、同じ白い飯を食べ、そしてこれからの未来を担っていく存在なのです。

 

にもかかわらず、彼らが理解できないから、価値観が違うからと、大人たちが一丸となって若者たちをいじめている昨今の状況は正気の沙汰ではありません。

大手メディアや旧経済産業省所管の組織がそれを主導しているという事実を、おかしいと思わない方がおかしいのです。

そんな暇があるなら、その時間を若者たちの教育に充てたり、相互理解のための時間としてえばいいのにと本気で思ってしまいます。

若者叩きの文化など、まったくもって不毛なものです。

あなた方が笑い、差別し、貶めているのは、日本の未来そのものだということに早く気づいてください。

 

まとめ

ずいぶんと若者寄りの内容になってしまいましたが、もちろん若者達にわがまま放題やらせろと言っているわけではありません。

数として多くはないにしろ、マナーや礼儀がなっていない、子供のような責任感しか持ち合わせていない若者だって実際には存在するのです。

彼らとて、反省すべき点は多くあるでしょう。

 

ただ、若者たちの方が世間において立場が弱く、そこにつけこんだ過剰な「若者叩き」が行われているという現実を見ていると、どうしても若者側から意見を述べないではいられなかったのです。

 

個人的な意見を言えば、「ゆとり世代」や「悟り世代」「○○型新入社員」という言葉を使うことは、立派な若者いじめ若者差別だと私は思っています。

それは、若者に対する理解と歩み寄りを排した、心無い侮辱の言葉です。

初心な若者たちに対するほほえましさから使っているのならまだしも、「俺たちの方が正しいんだ!」と自らの自尊心の保持を目的として使っているのだとしたら、正直引くくらいにみっともないことです。

 

上の世代たちに嚙みつくようなことを様々書いてきてしまいましたが、しかし一貫して言いたいことは、『世代を超えた歩み寄りを忘れてはならない』ということです。

 

若者たちは、先を生きる大人たちを尊敬し、見習うことで一人前になっていく。

大人たちは、若者達が運んでくる新しい風を受け入れつつ、彼らを正しく未来へ導いてやる。

その繰り返しが世代間の絆を作り、命をつくり、そして未来を創り出していくのです。これをどうか、忘れないでください。

 

理解できないから、気に食わないからと、立場の弱いものをいじめるのはもうやめにしませんか?

 

そんなこんなで、今回はここまで

ではでは、またまた。

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ABOUTこの記事をかいた人

シロネコ書房

物語とコーヒーが好きな一般成猫。横浜市の隅っこで暮らしています。人の「心」について興味を持ち、日々、ふむふむと勉強中。 このブログでは、これまでに学んだ「毎日を生きやすく、楽しく暮らす」ための心のノウハウを、Life Hack(ライフハック)ならぬ「Cocoro Hack(ココロハック)」と称して紹介していきます。