皆さんこんにちは、シロネコ書房(@shironeko_shobo)です。
勤労の有無にかかわらず、国が全ての国民に一定の金額を支給する「ベーシックインカム制度」についての議論が、国内外で盛んに行われていますね。カナダやフィンランドでは地域限定の給付実験も行われ、一定の成果を収めているとのことです。
もちろん導入を考えるとなると、働くなる人が増えるのでは? 生産力が落ちて経済が低迷するのでは? 財源の確保はどうするの?といった多くの問題点と向き合わねばなりません。
しかし「労働に囚われない生き方が出来る!」と思うと、毎日心をすり減らして働いている人にとっては救いとなるような制度です。
「辛い仕事をしなくてもお金がもらえる!」というのは、私のような一般人からすると単純に嬉しいことですからね(笑)
ただ心の観点から考えると、ベーシックインカムは必ずしも人を幸福に導いてくれるものだとは言いきれません。
なぜなら、働かずして手に入れた報酬を手放しで喜べるのは、この世界で” 猫 ”だけだからです。
コントラフリーローディング効果

私たち動物には、対価を支払わずに得たものの価値を低くとらえる傾向があります。
それを証明するものとして、ラザラス(1997)のネズミとレバーを使用した学習実験があります。
ネズミとレバーの学習実験
ケージで飼育しているネズミに、レバーを引くと餌が出てくることを学習させる。
ネズミたちがレバーの操作を覚えたら、そのケージに、レバーから出る餌と同じものが入ったボウルを入れる。このボウルには仕掛けは施されておらず、ネズミたちは中の餌を自由に食べることが出来る。
すると不思議なことに、自由に食べられる餌があるのにもかかわらず、多くのネズミたちがわざわざレバーを引きにいったのである。
彼らは苦労せずに手に入れられる餌よりも、わざわざ手間をかけて得る餌の方に価値を見出したのだ。
こうした傾向は、ネズミだけでなく、イヌやサル、サカナ、トリなど、ほぼすべての生き物に共通して見られるものです。
もちろん、人間だって例外ではありません。
これと同じ実験を就学自前の幼児にやらせてみると、なんと、ほぼ100%の確率でレバーを引きます。
この確率は成長と共に下がっていきますが、それでも、大学生の時点でも選択率は約50%を保っています。
このように、私たちは無償で手に入れたモノよりも、対価を支払って手に入れたモノの方に価値を認める生き物なのです。
この実験以外で例を挙げるとすると・・・・・・
- 努力して覚えた知識はいつまでも覚えているが、インターネットでちょちょっと検索して得た答えはすぐに忘れてしまう。
- 同じブランドのバッグでも、他人に貰うより自分で買ったほうが大切に思える。
- 適当に面接を受けてしよされた会社よりも、大変な試験をパスして入社した会社にこそ強い帰属意識や愛着が湧く。
こんな感じでしょうか。身に覚えのある人も多いかと思います。
3つ目に関しては、たとえ、その試験の審査基準が意味のないでたらめなものであったとしても効果があるというから驚きです。
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このような、対価を支払って手に入れたモノに高い価値を認める心の働きを、
「コントラフリーローディング効果(Contrafreeloading Effect)」と呼びます
コントラ(contra)は「逆」、フリーローディング(freeloading)は「(他人に)たかる」という意味を表すことから、日本語では「”逆たかり行動”」と訳されることが多いようです。
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猫は究極の合理主義者

しかし、この法則に当てはまらない動物がただ1種類だけ確認されています。
それが、猫。言わずと知れた我々の身近な隣人です。
彼らに先ほどの実験と同じことをしても、餌が出るからとレバーを引くことはありません。迷わず餌の入ったボウルに直行するのです。
ネコのこうした性質を発見した研究者のケネスは、論文にこれを「ネコの怠惰」と付けて発表しています。
しかし見方を変えれば、(いまのところ)彼らは世界中のどんな動物よりも合理的な生き物だということでもあります。
私たちが餌を用意すれば、彼らはなんのためらいもなくそれを食べるでしょう。
そして用意が遅れれば、逆にそれを責めるように「早く出せ!」と”たかって”くるのです。
プライドはないのかと呆れるばかりですが、彼らからすれば、無駄な苦労をしたがる私たちの方が「おかしい奴ら」なのでしょうね。
あぁ、猫になりたい。
”価値のあるお金” と ”価値のないお金”

ここまでの内容を踏まえて、改めてベーシックインカムについて考えてみます。
ベーシックインカムによって「働かなくてもお金が手に入る!」となれば、誰だって嬉しいでしょう。
しかし世の中には、定年退職後の無気力感から、たくさんの年金をもらいながらも日々ストレスを感じて生きている人がいます。
いわゆる「定年症候群」というやつですね。お金を稼ぐために働いてきて、年金によってようやくそれから解放されるのに、何故かその生活に価値を見いだせなくなってしまうのです。
このことからも、無償で支給されるお金が、私たちを必ずしも幸せにするとは限らないということが分かるかと思います。
「働いて得たお金」と「何の苦労もなく得たお金」では、同じ100円でもその価値が異なるのです。
ベーシックンカムは、私たちを絶対的な幸福に導いてくれる制度ではありません。
食べるものにも住むところにも困らず、毎日を自由気ままに過ごす――。そんな誰もが憧れるような生活も、実際に手に入れてみるとそこまで良いものでもないのかもしれませんね。
ベーシックインカムは人々を幸せにはしないが、「救いの手」となることはできる
しかしだからと言って、「労働こそが何よりも尊いんだ!だから働け!苦労しろ!」という「労働教」の聖典を開くことは間違っています。
それは、労働者を使役する側にとっての都合のいい言い訳でしかないからです。
人が働くことに価値を感じるのは確かでしょうが、それは確かな報酬と、ある程度の余裕が約束されてはじめて成り立つものです。
レバーを引いても米粒1つしか出てこないような作業を永遠とやらされ続ければ、こころも体も壊れてしまいます。
しかし実際問題として、今の日本にはそのような仕事を労働者にやらせている「ブラック企業」がたくさん存在しています。
そこに勤める人たちは、しかしお金や日々の生活に対する不安から仕事を辞めることもできないでいます。
そのような不安を解消するものとしては、ベーシックインカムは有用な制度となるかもしれません。
生活基盤としてのお金は、過酷な労働環境に依存しない生き方を提示してくれるからです。
労働者から搾取することしか考えていないような会社から人が離れていけば、それは自然とブラック企業の撲滅にも繋がっていくでしょう。
ベーシックインカムは、人を幸せにするまでは至らなくても、窮地に陥っている人々を救うものとしては非常に役に立つものだと言えるのです。
まとめ
働かずに手にいれたお金が私たちを幸せにすることはありません。
しかし、わらにもすがる思いで日々を過ごしている人にとっては、その施しは救いの手と変わります。
結局のところ、大事なのは労働とお金のバランスなのです。
しっかり働いて稼いだ”価値のある”お金で、毎日を有意義に過ごす。
それこそが人間として最も幸せな生活だと言えるでしょう。
そんなこんなで、今回はここまで。
あ!そうだ、最後に言いたいことが1つだけありました!
滅べ!ブラック企業!
以上、シロネコ書房でした!
ではではまたまた。
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