皆さんこんにちは、シロネコ書房(@shironeko_shobo)です
この人はこういう人、あの人はああいう人……と、私達は無意識のうちに他人に対して特定のイメージを形成しています。
これを心理学用語では対人認知(対人知覚)といい「容姿や行い、うわさといった、断片的な要素にもとづいて、その人の意図・態度・あるいはパーソナリティといった内面的部分を、主観的に推論する過程のこと」などと定義されています。
つまりは、他人に対してあることないこと想像してラベル付けを行ってしまうこと……なんですね。
そして、ここで大事なのは「主観的に」という部分。
どんなラベルを張るか、という判断が個人の脳みそのみで行われてしまう以上、そこには様々な「歪み」が生じます。
今回は、そんな対人認知に歪みを生じさせる心理要因を紹介していこうかと思います。
目次
様々な対人認知の歪み

光背効果(halo effect)
ハロー効果とも呼ばれるこの現象。勘違いする人がたまにいますが、決して「おはよう」のあいさつが持つさわやか効果のことではありません!
「ある人物に突出して好ましい側面があった場合、その人物の他の側面にまで、その評価の影響が及ぼされること」
これが正しいハロー効果、光背効果です。
例えば
・東大出身の彼は、きっとどんな仕事を任せてもうまくこなすに違いない。
・ミスコンで優勝するほど可憐な彼女は、きっと勉強もできて友達も多いに違いない。
・高級ブランドのスーツを着た彼は、きっと有能なビジネスマンで、たくさん稼いでいるに違いない。
と思ってしまうようなことを言います。
経歴や容姿、服装など、一部の好ましい点が、まるで後ろから光をさすように、その人の全体的な印象までもを引き上げてしまうのです。
東大の彼の例などは、就職活動等において特に顕著に表れているといえるでしょう。
いわゆる「学歴フィルター」なんてのも、根源にはこのハロー効果が横たわっているのです。
ちなみに、こうしたプラスのイメージを生むハロー効果を「ポジティブ・ハロー効果」といいます。
ポジティブがなハロー効果があるということは、反対にマイナスイメージのハロー効果、「ネガティブ・ハロー効果」も存在します。
つまり、一つでも際立った欠点、マイナス要素がある場合、それが全体にも同様の悪影響を与えてしまうのです。
簡単な例で言えば
・前科を持つ人が、その後の社会生活においてひどく不当な扱いを受けてしまう
・容姿が優れていない人は、能力が低いと評価されてしまう。
・学歴が中卒である人は、仕事もできないと思われてしまう。
といったことなどが挙げられるかと思います。
直接的な関係や根拠がなくても、見た目や経歴から連想される悪いイメージが、人物の評価までもを全体的に下げてしまうのです。
本当は優れた能力を持つ人だったとしても、来ているスーツがよれよれだったり、靴が汚れていたりすると2流扱いされてしまうのは、このマイナスのハロー効果のせいなんですね。
恋愛や面接など、人物評価が求められる場面で、ハロー効果は強く働きます。
特に、外から見て最も分かりやすい「見た目」が及ぼすハロー効果は顕著ですね。イケメンや美女は、ただそれだけで、ビジネスにおいても恋愛においても優れているという評価を受けやすいのです。(残酷な世の中ですよほんよ)
※ハロー効果が恋愛にどう役立つかは、こちらの記事から!

しかし、人にこうした認知の歪みがあることを知っていれば、事前に対処することも十分に可能です。
ポジティブ・ハロー効果をまとうことは難しいですが、「身なりを整える」「清潔にする」などに気を遣うことで、ネガティブ・ハロー効果を生み出さない努力をすることはできますからね。
日本人は特にハロー効果の影響を受けやすいと言われ、「人生で一度大きな失敗をするとやり直しがきかない」風潮や、「過度に学歴が重視される傾向」といったものがあります(それは物事の本質を歪めて理解しまっているだけなんですが……)。
そのような社会で損をしないように!みなさんぜひこのハロー効果のことは頭に入れておいてください。
「見た目」に少し気を遣うだけでも、とても生きやすい人生になりますから。
寛容効果(leniency effect)
他者を評価するときに、好ましい特徴はより好意的に、そうでない特徴は寛大に評価する心理的傾向を寛容効果(leniency effect)といいます。
こんなセリフを聞いたことがないでしょうか。
このように、知人や友人の欠点を示すワードの前に、少し、ちょっと、多少、のような、程度を和らげる言葉を添えるような場面が、みなさんの生活の中でもよくあると思います。。
実はこれ、無意識のうちに、心がその人の好ましくない部分を寛容に受け取ろうとしている証拠なのです。
このような現象は、人のことを悪く言うこと自体が好ましいことではなく,むしろ長所を積極的に認めるべきだ、とする日本の文化的な影響によって起こるものとされています。
しかし、あれ?と思いませんか。
これが本当なら、全ての日本人はお互いのことをどんどん好意的にとらえようとするから、いさかいや不和は起こらないのでは?と。
つまりは程度の問題なのです。
いくら寛容にとらえ「がち」とはいえ、己の許容を超えるような欠点を前にしたら、それは見過ごすわけにはいきませんからね。
欠点は、ちょっぴり、てへへ、なぐらいまでなら、親しい人は寛容的にとらえてくれる、そう覚えておきましょう。
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ステレオタイプ(stereotype)
聴いたことがある人も多いワードだと思います。
「偏見」と同義に思っている人も多い言葉だとも思いますが、厳密には、
「ある特定の集団に対して人々が持っている信念を、その集団に属しているすべての人間に共通の特徴と考えてしまうこと」
これをステレオタイプと言います。
例えば、
・ブラジル人はみんな明るくて陽気。
・刺青を入れている人は怖くておっかない。
・スタバでMac開いてる人は意識高い。
こんな感じでしょうか。
しかし実際には、暗くうじうじとしたブラジル出身の方もいれば、芸術の対象として刺青を入れている、すごく礼儀正しい人もいて、スタバでMac起動したものの、見ているのはyoutubeのお笑いチャンネル……なんて人もいるわけです。
大枠でとらえた時のイメージが先行すると、「個を」考えることなくその人の性格や属性を決めつけてしまうのですね。
先ほどあげた「偏見」は、この内容が好ましくないもののことで、特に憎悪や敵意の感情と結びつくものを言います。
多方面に変な誤解を招きたくないので例を挙げることは控えようと思いますが、この「偏見」が、多くの戦争や紛争の下地として機能していることは言うまでもないでしょう。
「大は小を兼ねる」と言いますが、こと人のイメージに関していえば、私達は目の前にいるその人を、真っ白な紙を背景に、真摯に見つめてあげることが大切なのです。
暗黙の性格理論
「自分の過去の経験をもとに、ある特徴を持つ個人は、それと論理的に関係すると思われる他の特性までもを併せ持つと考える傾向」
これを暗黙の性格理論と言います。
例を挙げるとするなら、
・「三つ編みで眼鏡をかけている女の子」は、おとなしく気弱で、心優しく、まじめでな性格で……
・「ロックバンドをやっている人」は、恰好が派手で、斜に構えていて……
といった具合でしょうか(主観全力)。
この認知の歪みは、己の過去の経験が基準になってくるところが大きいので、ある人のイメージが複数人の間で統一されることはあまりありません。
しかしその経験がマスメディア等から得たものだとすると、そうは言いきれません。
戦時中のナチス・ドイツしかり、大衆の扇動には、この暗黙の性格理論から偏見へと人々の意識を移そうとする試みが数多く行われてきたのです。
今でさえ、多くの差別や迫害にはこの暗黙の性格理論が深くかかわっています。
○○な人は△△な人、という思い込みには「ちょっと待った!」をかける必要があるのです。
転移
暗黙の性格理論に似た対人認知の歪みとして、転移というものがあります。
これは、自分の過去における重要な他者(両親や兄弟、恋人等)に対する感情や関係を、彼らと同様の特性を持つ相手に移し替えてしまう現象のことを指します。
具体的には、父親に対して鬱陶しいという感情を持っている人が、彼と同じような外見や雰囲気をまとった男性に出会うと、初対面の相手だったとしても、その内面や特性を父親のものと同じように判断してしまったり、父親に対するのと同じ感情や行動を示してしまう、といったことです。
多くの男性は、自分の母親に似た女性を好きになる、と言われますが、その根っこの部分にも、この転移が影響する部分があるのでしょう。母親が嫌いな男の子なんてまれですからね。
しかし、今の世の中、マザコン男性は女の子に嫌われます。
母親と似ているから好きになったのに、その母親のことが好きだから嫌われる。難儀な話ですね……。
認知的複雑性を高める

ここまで4つの対人認知の歪みを見てきました。
私たちのほとんどが、さまざまな要素によって、「ありのままのその人」を見ることができなくなっていることが分かったかと思います。
その中でも、マイナスの歪み、とりわけ「偏見」には注意しなければなりません。
憶測やイメージだけで、個人や集団の特性を決定付けてしまうことは、将来的な争いのもとになってしまうからです。
「あいつは○○だから△△に決まっている!」
そんな決め付けをお互いに行っていたら、相互理解に歩み寄る前に、ぶつかり合いがおきて互いが駄目になってしまいます。
気に入らない相手でも、その人のことを判断するのは1ヶ月行動を共にしてからです。
実際に行うとすると難しいことですが、それでも心には留めておきたい意識ではないかと思います。
「人を知るは、平和を知ることなり」ですからね!(造語)
そしてそのためには、他者を多くの側面から多次元的に知覚できる能力を養わなければいけません。
そのような能力や性質のことを、認知的複雑性といいます。
一般に、この認知的複雑性が低い人は独段主義的傾向や権威主義的傾向が強く、逆に高い人は、特定の情報にとらわれることなく、さまざまな情報を統合して、認知する対象に統一的な印象を作成、その行動の予測が可能であるとされています。
一つの情報から、すぐに「こいつは○○だ!」と決め付けるのではなく、「いやちょっと待てよ……」という姿勢で他人と向き合う。そうすることで、最初の評価とは違う新しい「その人」が見えてくる。
これができるようになれば、十分にあなたは認知的複雑性が高い人と言えるでしょう。
こういった、ちょっと推理的な思考がすぐにできるようになるのはなかなか難しいですが、表面だけの付き合いが増えている昨今、むしろ少し穿った見方をしたほうが、「本当の」その人を見つけることにつながるのかもしれませんね。
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まとめ:なぜ対人認知は歪みやすいのか
対人認知が歪むその理由ですが、それは
「人間が生来面倒くさがり、そして怖がりな生き物だから」です。
他者を深く知りたいなら、その人と多くの時間を共有し、地道に関係を築いていくのが一番です。
しかし、そこまでの時間はありゃしない。そんな手段はひどく効率が悪い。だから限られた短い時間の中で、ある程度は決めつけてしまうのが楽だ、となってしまうのです。
また、人間は「自分が理解できないもの」に対してひどく恐れを抱く生き物でもあります。
相手を、「訳のわからない」状態のままにするのは気持ち悪い。だから自分の理解の範疇にとどめたい。そのためには、その人に属性をつけて、ラベルを張って(現代風にいうなら「タグ付け」をして)自分のなかで管理するのが効率がいい、と考えるのです。
なんともまぁ中途半端な対策ですが。
人を知りたいと願う癖に、しかしそのための努力はしたくない。
何とも怠惰な話ですよね。
その結果生まれたのが、対人認知の歪み。
それが生み出すのが不幸な争いやいさかい。
巡り巡って、もはやその不幸は、人間の怠惰による罰なのではないかとさえ思います。
なんてうまいこと(?)言ったところで、今回は終わりです。
みなさんも、怠惰な人間関係には気を付けてくださいね!
ではでは、またまた。
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